部屋の窓から見える青空が、鬱陶しく感じるほど冴えない。 目的地を定めていたはずなのに、行き先も、今どこにいるのかもわからない。自分を見失いそうになっている。 「もう会社員には戻らない」と決めていたけれど、それがすべてでもないのかもしれない。0か100かの選択肢で自分を追い込みすぎていたのか。その間の「40」や「60」の生き方はないのか。そんなことを思う始末だ。
会社員だった頃の僕は、ダメなところばかりが目についた。 店頭でのレジ打ちやラッピング、営業の電話や外回り、数値管理、EC運営の細かな設定からライティングまで、どれも上手にできなかった。そんなできない自分が見つからないように、ずっと逃げ回っていた気がする。 唯一できたのは周囲に甘えること。先輩・後輩問わず、誰かに頼ってし、なんとかその場に居座ることができていた。
そんな自分が嫌になり、自己啓発本を読んで応急処置をしてみる。 でも、形状記憶シャツみたいにすぐ元のダメな自分に戻ってしまう。 それでも「自分はこんなもんじゃない」「人とは違う何かがある」と、どこかで信じたかった。
その歪みが適応障害に繋がったのか、 それとも単に場所が合わなかっただけなのか。2社目には11年も在籍した(少し自慢げに言ってみる)。けれど結局、いつも自分を生かしきれないまま、逃げるように辞めている。 「ここは僕の居場所じゃない」と、能力の低さを隠すように、心の中で泣きながら叫び続けていた。
結局、僕は自分を深く知らないまま、「アパレル」や「ライター」といった響きのいい「名詞」に飛びついてきただけなんだと思う。 コミュニケーションが苦手なのに接客や営業ができるはずもなく、一生物の服を愛しているのにキラキラした女性服に興味が持てるはずもなかった。自由を求めたWEBライターだって、自分がどうありたいかが空っぽなら、うまくいくはずがない。
会社員か、フリーランスか。そんな形式よりも、自分がどう生きたいか。 自分を殺して働くのは嫌だ。けれど、安心はしたい。納得感のない仕事で自分に嘘はつきたくない。 今は「頭の中が散らかりすぎてようわからん」という状態だ。昨日まで信じていたものが、簡単に崩れそうになる。
すぐ結論は出ない。今はそんな段階なんだと思う。自分らしく生きる道を肯定したい自分もいれば、フリーランスになることが怖くなって、焦って求人票を見ている自分もいる。
40歳を過ぎても定まらない自分。 一軒家を買い、子供がいて、ミニバンに乗る会社員。彼らがどうしても「正解」に見えてしまう。 そんな「正解」に、パンクな精神で中指を立てて生きてきたはずなのに。 どこかで「みんなと同じじゃなくていい」と反発し続けている子供のような自分が、まだ消えずに残っている。
勝手に被害妄想を抱いて、他人を敵対視している自分が滑稽に思えてきた。 今しか味わえない、自分の中で揺れる感情。それをただそのまま受け止める。
それだけでいいことにしよう。

