ずっと付きまとうお金の不安。ひそかに息子に誓った想い

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海岸で高く上げたボールを見つめる少年

僕はこれから、傷病手当を受給する予定だ。 「そんなにのんびりしていていいのか」という不安がある。周りの目だけでなく、銀行の残高も気にかかる。正直、残高を見るのが怖くて、目を覆った指の間から薄目をして金額を確かめているような状態だ。まるでホラー映画を見るように直視できない。

これまでの僕は、「自分はお金を稼げない」というレッテルを自分自身に貼ったまま生きてきた。思えば、社会人になって一度たりとも、金銭的に余裕がある時期などなかった。前職を辞める時も、父親の遺産を切り崩して、なんとか命を繋いでもらっている感覚だった。そして、前職での3年間は、入社時と同じ給料をもらい続けてきた。

正直なところ、仕事にたいしたやりがいを持てず、成果も出せない状態を見て見ぬふりをして働いてきた。そんな状況では、金銭的にも精神的にも頭打ちになることは目に見えていたのだ。 そんな時に下されたのが、会社からの解散通知(実質的な解雇通告)だった。本来なら良くない知らせのはずなのに、どこか安堵している自分がいた。強制的にでも環境を変えられることに、希望を感じていたのだろう。

これまで経験してきた3つの職場のどれもが、そうだった。 「自分らしく働けていない」「自分らしさを発揮できていない」「自分がいるべきなのはここじゃない」。 心の中でそう叫び続けてきた。その声をきちんと受け止めることができず、ただ過ぎ去っていく日々をやり過ごすことしかできなかった。

唐突だが、今ここで「敗北宣言」をしようと思う。 「自分を誤魔化して、やりがいのない、やりたくない仕事をして成果が出せませんでした。その状況に気付きながらも、決して多くはない安定収入のためになんとなく働いてきた自分に、嘘偽りはありません。完敗です!」

こうして負けを認めたことで、やっとスタートラインに立てた気がする。42歳からの、本当の意味でのスタートだ。今が最高のチャンスだと思えていること自体、僕にとっては大きな気付きである。 もっと妥協のない暮らしをしたい。それを家族と分かち合いたい。お金の不安に怯えることなく暮らしたい。 不安は尽きないが、自分には無限の可能性があると信じたい。そのためには、自分の本質に合った生き方、働き方をする必要があるのだ。「これまでのやり方じゃ、もうダメなんだ」と、自分に言い聞かせている。

小学4年生の息子を、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に連れて行ってあげたい。絶叫系アトラクションの動画を、キラキラとした目で見せてくる彼の横顔が愛おしい。それと同時に、今すぐに連れて行ってあげられないもどかしさが込み上げてくる。 彼と過ごす限られた貴重な時間を大切にしたい。その感情を力に変えて、自分が決めた人生を、後悔がないように歩んでいく。 だから、目標に向かって今やりたいことに夢中になろう。お金の不安を感じる暇もないくらいに。そうすれば、きっとUSJ行きのチケットも向こうからやってくるはずだ。

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