服の断捨離基準は「心の違和感」。手放して自分軸のクローゼットへ

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ラックに掛かった木のハンガーのアップ画像
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服を手放す基準は、自分だけが知っている「心の違和感」

その小さな違和感は、まず間違っていない。モノに対して抱く違和感は、「手放すべき時期が来た」という決定的なサインである。

クローゼットにある「しっくりこない感覚」は、目を背けたり、「いつか使う」と無理に言い聞かせたりしても、必ず再燃する。「高かったからもったいない」「思い入れがあるから捨てられない」などの理由で、何かしらの言い訳をして手元に残す限り、ずっと手放すことはできない。

違和感を無視して所有し続けたモノが、これから日の目を見ることもなく、クローゼットになんとなく居座り続けることになる。特に、「サイズが合わない」「趣味が変わった」「流行遅れ」など、着なくなった服への違和感を見つめてみると、自分なりの断捨離の基準が明確になっていくはずだ。

手放すべきか、実際に着用して考えてみる

ネットや書籍などで断捨離のテクニックを身に付けたけれど、思うようにいかない人は、断捨離候補の服を着て出かけてみるのがおすすめだ。わざわざ出かけなくても、一日部屋の中でその服を着て過ごしてみるだけでもいい。そうすることで、「意外と使えるかも」あるいは「これからも絶対使わないな」など、意外にもあっさり決断できることも多い。

そんな僕も、今手放すか迷っているレザーのライダースを着ながらこの文章を書いている。もう40歳を過ぎ、この硬くて重い、肩が凝るジャケットを所有しておくべきかを迷っているのだ。あまり着ていないのに、「なんとなく持っておきたい」という気持ちだけで、5年以上もクローゼットの住人になっている。

残りの人生であと何回着るんだろう…ちょっと切ないけど、そんなことを真剣に考えてみる。着てあげないと彼(レザーのライダース)のためにもならないし、古いものを手放せない自分に停滞感をおぼえてしまう。これから先も共に過ごしていきたいかを確かめるために、今、彼と最後のコミュニケーションを取っているところなのだ。

執着を手放しても、なぜまた新しい服を求めてしまうのか

そもそもクローゼットは好きなもので満たされているはずなのに、どうしてまた新しい服を求めてしまうのだろう。

今あるものを否定して、次々と新しいモノを手に入れようとする連鎖。「最近着ていない」「サイズが気に入らない」「長く着られるデザインじゃない」といった理由で、お気に入りだったはずのモノをあっさりと手放す。その服を買った時も、以前のモノと入れ替える形で同じ連鎖を繰り返してきたのである。

僕もこんなことをずっと続けてきた。モノを見る目は磨かれたかもしれないが、短期間で手放した服たちを思うと、小さな裏切りや虚しさも感じてしまう。

服選びが「他人軸」?心とクローゼットの共通点

これは、単に服だけの話ではない。クローゼットの迷走は、他人と比べてないものねだりをする、今の自分を肯定できない私自身の心そのものである。

誰かと比較して焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。しかし、その時々の選択が「他人を意識して選んだものだ」とは、なかなか気づけないのだ。クローゼットの中も、「自分の好き」を追求して集めた洋服だけでありたいはずなのに。他人軸で、人の目を意識して買ってしまったものも少なからず混ざっている。

違和感に気付いたら、すぐに手放そう

自分に嘘をつき続けた結果、身動きが取れなくなっていたことには、もう気づいている。しかし、これは僕だけの問題ではないはずだ。違和感を持ったまま生きることは、時間やエネルギーを消耗する。

どうせいつかは手放すと答えが決まっているなら、今すぐ実行すべきである。その一歩を踏み出せば、クローゼットだけでなく、心にも大きなスペースが生まれる。本当に必要なモノと空間だけを手にすれば、はるかに身軽に、生きやすくなるはずだ。

違和感というフィルターを通り抜けてクローゼットに残った数少ない服たちは、きっと今のあなたを心から肯定してくれる「最高の相棒」になってくれるだろう。

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