結局お洒落のルールより、自分が心地良いかどうかなんだよなぁ。

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歩いている人の足元と影

昨日は、スポーツウェアに愛用している眼鏡を掛けて、公園をウォーキングした。 ただ単に目が悪いのと、掛け心地がいいという理由だけで、メタルフレームの眼鏡を選んだ。けれど、歩き始めてすぐに、小ぶりで超クラシックな眼鏡を掛けている自分になんとなく違和感を覚えた。そんなこと、周囲は誰も気にしちゃいないんだろうけど。今までの自分だったら、運動をするときはコンタクトを付けるか、用途に合ったタイプの眼鏡を選んでいただろうなぁ。

普段、私服のコーディネートを考える時も、その日の服装に合った眼鏡を選ぶ。場合によっては、カジュアルなスタイルにあえて「ハズシ」で差し込むこともある。今回は間違いなく後者なのだが、普通に考えると「スポーティ×クラシック」はどこかチグハグな感じがした。 そんな違和感の正体は、「コレにはソレを合わせるのが正解」というセオリーから外れ、ファッションを分かっていない人だと思われるのを恐れていたのかもしれないなぁ。

長年、アパレル業界にいたせいか、暗黙のルールというかセオリーみたいなものが頭をよぎり、なんとなく「思いきったハズシ」はしないようにしてきた。悪く言えば、凝り固まった考えに支配されて、ある制限の中でお洒落をしてしまっていたとも言える。そんな条件ありきのお洒落って、なんか違うよなぁ……。ずっと、そんな当たり前に反発してきたタイプでもあるのだけど。

昨日の件みたいに、自分の生活に合ったものを、何気なく「条件」や「縛り」なしで手に取る。この感覚こそが、自分の理想なんだなぁ。洋服や小物が、単なる飾りではなく、道具のように生活に馴染んでいる証拠だから。 常識やセオリーという他人軸な視点ではなく、自分自身の心地良い選択をしていければ、それでいいんだよなぁ。

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