さらけ出した弱さの分だけ、自分のことを肯定できる

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ラックに掛けられた白のドレスシャツ

自分とちゃんと向き合えないことに、モヤモヤする。 昨日の午後、あんなに時間があったはずなのに何やってたんだよ。「あの時間を効率的に使えたら、もっと有意義に過ごせたんじゃない?」と、いつものように悪魔の囁きが聞こえてくる。過去の非効率な自分に対して、厳しくジャッジを下してくるのだ。だけど、その正体は悪魔の顔をした自分自身だった。

「正しく行動しなければダメだ!」 これまでの人生で刷り込まれた思い込みが、できなかった自分に刃を突きつけてくる。その結果、「不安だよ!」「焦るよ!」「何かしないといけない空気感が嫌だよ!」といったネガティブな感情に頭が支配されてしまう。そうなると、本当の心の声がよく聞き取れなくなる。

でも、ちょっと待てよ。 今こうやって言語化できているということは、少しは自分と向き合えている証拠ではないだろうか。そもそも、自分と向き合うことに「ここまでやれば合格」なんて縛りはないはずだ。勝手に理想の状態を高く見積もりすぎていただけなのかもしれない。

そういえば、最近は自分をよく見せようと正統派を装って、「らしさ」やありのままの姿をさらけ出せていない気がする。「正しくあるべき」という誰かが作り出した偽りの姿は、自分らしくないからもうやめよう。どうせその場しのぎにしかならないし、後々自分が苦しくなるだけなのだから。

それにしても、この文章……アラフォー男が書いたとは思えないほど、幼稚な感じがしてなんだか情けないな。

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