100記事書いたのに。何も変わらない自分

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木製の丸いテーブルの上に置かれたノートとペン

この記事で、これまで書き溜めたエッセイもついに100本目。

「やってやったぞー!」と歓喜して、『100』という数字をただ噛み締めたかった。
でも、現実は全然違った。達成感もなければ、納得感もない。

つい、やったことへの結果を追い求めてしまう僕は、ここまで続けた意味すら疑っている。
100記事も書けば、自己理解が深まり、自分の考えをスラスラと言語化している姿を想像していた。文章力も、自分で実感できるくらい上達しているはずだった。

なぜか、心の片隅に残ってしまっている虚さ。

当初は、感じたことを書き殴るだけの日記だった(非公開で)。
途中から記事を公開したことで、自分と向き合うために書くことと、他人から認められること。その両方を欲張って掴もうとして、重心が狂ってしまったのかもしれない。

もっと早く、「自分のために書く」という原点に立ち戻っていたら、結果は変わっていたのかな。
でも、途中で目標が変わることは悪くないと思う。成り行きで、誰かに読まれる文章を書きたくなった。そんな気持ちも無駄にしたくない。

そもそも、会社員としてニッチもサッチもいかず、社会に適応できなかった男が、情けない自分をさらけ出した文章に誰も興味なんてないか。

僕のエッセイを読んでも、たぶん何の解決にもならない。でも自分と同じように生きづらさを感じる人に、そっと寄り添えたらうれしいけど。

自分と向き合うことに終わりはない。
101記事目からは、数のことは一旦忘れて、また書く。

人に止められても、たぶんやり続けていることだから。

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