行きつけの眼鏡屋の店員さんに、いつもハッとさせられる。
恥ずかしながら、そのお店にはよそで買った眼鏡を調整してもらうに行くことが多い。
普通に考えると、自店で購入したものではない眼鏡を持ち込まれるのは嫌がられるだろう。
でも、その店員さんは嫌な顔ひとつしない。
それどころか、寸分のズレもないくらいきっちりと、僕の顔に合わせて調整してくれる。さらに、元の眼鏡の形状を崩さない配慮まで。
ちなみに、僕は眼鏡が顔からズレないように調整しないと気が済まないタイプだ。
多少気まずくなっても、納得いくまで何回でもお店に足を運ぶ。その衝動がどうしても抑えられない。そのうち、出禁になってもおかしくない。
お店に行く度に、申し訳ない気持ちをその店員さんに伝える。
いつも、彼は決まってこう言う。「自分も徹底的に合わせないと気になるタイプなんで」と。
救われたなんて言うと大袈裟だけど、自分の中にいる「面倒くさい自分」を殺さなくていいんだ、と許可をもらったような感覚になった。
こういうことが、深い深い信頼につながるんだろうなぁ。
親切だなぁとか、丁寧だなぁと思う人はたくさんいるけど、自分のダメな部分まで包み込んでくれるような人は、あまりいない。
自分が何気なく抱いた店員さんへの感謝。 その裏側には、僕も彼のように、「不器用さというこだわりを、そのまま誰かのための使えるようになりたい」という本心が隠れているのかもしれない。
いつかまた、僕が何かを始めるとき、 立派な理由なんてなくていい。 自分のこの「こだわりすぎてしまう面倒くささ」を隠さず、そのまま仕事にしていいのかもしれない。
理想の自分になろうとするんじゃなくて、 今のままの自分で、あんなふうに誰かと向き合いたい。

