昨日は妻の提案で、家族で美術館に行った。僕は張り切ってお気に入りの服を選び、仕上げに最近出番の減っていた革靴に迷わず足を通した。デニムに革靴。やっぱりいい。自分の好きなスタイルがずっと変わっていないことに、なんだか懐かしいような、誇らしいような気持ちになった。
ちなみに革靴を履かなくなった理由は、無邪気に走り回る息子に踏まれたくないから。服を愛用しすぎるあまり、傷や汚れがつくのを警戒して、クローゼットでミイラ化させていたのだ。展示内容がエジプト展だっただけに。
肝心の美術館の感想は……恥ずかしながら、特にない。 当時の様式美や技術力、あるいは死生観について、それっぽい感想を述べたかった。展示品や横に添えられた説明文を眺めながら、頑張って自分らしい視点で何か語ってやろうと思ったけれど、ダメだった。
頑張っている時点でダメなんだよなぁ。もっと自然に降りてくる感覚を待つべきなのだ。物事への興味のあり無しが白黒はっきりした僕には、いくら頭を絞っても何も出てこなかった。
実は展示品を見ている間、僕の頭の中は別のことで忙しかった。 「わかっている風の自分、かっこいいだろ?」という見栄や、「それにしてもこの革靴のフォルム、いつ見ても最高だな」という自惚れ。人の目と自分への関心のオンパレードで、まさに心ここにあらず。
ふと見れば、別行動していた息子も早々に飽きたらしく、お土産売り場で暇をつぶしていたみたい。その気持ちを、誰よりも自分が理解してあげられるなと思った。
美術館で何かを深めたい、味わい尽くしたい、という淡い期待は、結局アンテナが反応しないまま終わった。 そんなことよりも、一日履いた革靴が痛くならなかった満足感や、帽子から出た髪の毛の分量がなかなかいい感じだ、なんてことの方に僕は反応しっぱなしだったのだ。
自分に無いものを無理やり引き出そうとしても、やっぱり無理なんだなぁ。
だけど、そうやって背伸びをして出かけたこと自体は、立派な一歩だったと思う。意図的に何かに触れることで、動く感情だってあるのだから。 実際、お洒落をして出かけたからこそ味わえた感情もたくさんあった。
自分が自然にやってしまうことの中に、「好き」を再確認できた。それが何よりの収穫だったのかもしれないなぁ。 あ、でも、そんな僕でもピラミッドにはちゃんと興味があります。

